【レーシック知識】口コミサイトを活用してクリニック選びブログ:07 2 14
今、我が家では小麦粉が余っています。
母親は使い道に困っており
「お好み焼きでも作ろうか?」と言っていますが、
そのまま1ヶ月以上経ってしまいました。
昔、我が家では
「お好み焼き」は父の仕事でした。
自営業で忙しく、自宅で寝る事も少なかった父とは
残念ながら家族団らんの思い出があまりありません。
小さかった子供の頃は違うでしょうが、
おいらが小学校低学年の頃に賃貸から分譲のマンションに移ってからは、
父が家の中にいた時間は、本当に少なかったように思います。
それでも1ヶ月に何度か夕食を一緒に食べる機会があり、
そうした時に父が率先して家族に振舞ったのが
「お好み焼き」でした。
大阪生まれの大阪育ちなのに、
父のこだわりは広島焼きで、
いろいろウンチクを並べたりしていました。
ヘラで重なりあったお好み焼きを
上手にひっくり返す父の姿に子供のおいらは大興奮で、
「自分もやりたい!」とヘラを奪い取ってチャレンジしても
ことごとく失敗していました。
その失敗を父がまた綺麗に直してくれて…
それがまた尊敬だったりもしました。
父は「うまいか?」と言いながら
次々焼いていきます。
そしていつも自分が食べるのは最後になってからでした。
今思うと、そこにも愛情がありますね。
そんな父が亡くなってもう10年。
お好み焼きを自宅で作る機会はもうほとんどありません。
昔は買足しても足りなかった小麦粉が余っている様子を見て、
父が居ないことを改めて実感すると同時に、
笑顔でお好み焼きをクチいっぱいに頬張っていた
自分の姿を思い出しました。
平凡だけれども
おいらにとっては、優しかった父との思い出です。